新大久保で考える「日本」「差別」「移民」トークイベントに参加した話

2/7(金)に東京・新大久保にあるNaked Loftで開催された“新大久保で考える「日本」「差別「移民」”というトークイベントに参加してきました。出演者は、なみちえさん、IDさん、丸屋九兵衛さんの3名。会場は平日の開催にも関わらず満員で、立ち見のお客さんがいるほどだった。

個人的にはこの3人のことを全く知らず、イベント開催の告知を持ってどんな人たちなのか調べ始めたのだが、とても濃密な夜になった。あ、なみちえさんのこの文章(「ガイジン」と言われ、見た目で差別され続けた私の22年、忍耐の記憶)は読んでから参加しました。すごく興味深い内容だった。

会場のお客さんの層も、それこそ国籍年齢性別問わず様々で、人が集まるところといえばライブハウスくらいしか行かない私にとってはかなり新鮮だった。

出演者の3名全員が、発言について非常に慎重に言葉を選んでいたように思う。それだけデリケートな内容なんだよな、と再確認。「差別」という言葉は本当に難しい。言葉の選び方ひとつで、とんでもなく人を傷つけてしまうこともある。会場では「それは差別なのではないか、という発言こそが差別になりうる」という「逆差別」という言葉も出てきて、なにがなんだか!という雰囲気になる場面もあった。

また、イベントの話の中での、なみちえさんの何気ない一言が忘れられない。一字一句記憶していないのだが「性別すらも分けられている(男とか女とか)のも嫌」というような言葉。なぜならば私もそう思うからだ。今回のテーマ女だから、男だから、というような分け方は本当に古い考えのように思う。性差は今回のトークイベントのテーマではないけれど通づるものはある。

イベントが終わり、帰り道で一緒に参加した旦那さんと友人と話したこと。「誰だってマイノリティなんだよ」っていうのは本当にそうだと思った。今日の会場の中では、私はハーフでも、外国人でもなく、どちらかといえばマジョリティ側でって考えようとしてたけど、一歩外の世界に出れば私はマイノリティなのである。その理由は、女性で、かなりマイナーな音楽が好きで、ディストロを経営していて…。周りを見渡しても、そんな人いないのだ。この瞬間、わたしはマイノリティの人間になる。

自分も知らない間に差別をしている可能性がある、のではなく、誰にだって、差別をしてしまう(行動だけでなく、意識も)ことは間違いなくある。そういう気持ちは私には1ミリもありません!というのはあまりに偽善的だ。大切なのは、それを自覚して、どう行動するのか、ということ。

差別について考えるトークイベントだったが、同時に「言葉」についても深く考えさせられた夜だった。

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